河内どんこう掲載のグラビア写真を中心に「やお文化協会のあゆみ」を紹介します。
八尾、そしてふるさと河内を愛した、諸先輩の活躍を思い出して頂ければ幸いです。
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● 四半世紀を八尾で過ごし、「第二の故郷八尾」をこよなく愛した今 東光さん 昭和34年(1959)
 ○ 八尾市立病院の看護婦さんとゴキゲンで記念撮影
昭和26年から八尾市中野の天台院住職として、河内に移り住んだ今 東光さん。
行くところ様々な話題をふりまき、河内に住む人々にとって、よくも悪くも、その思い出はつきない。昭和52年9月19日、七十九年の生涯を閉じる。
● 河内どんこう創刊号発送作業 昭和51年(1976)5月
「ふるさと河内の歴史、それに河内の本当の姿というものを、読者のみなさんにわかりやすく知らせたい」(創刊号「あとがき」)との気持ちを込めて、マスコミ各社も大変注目する中、創刊号は発送された。
やお文化協会創設に大きな力を注いだ、伊藤光生初代専務理事、阿部 孝初代事務局長の晴れやかな顔が印象的である。
 ○ 河内どんこう創刊号 
郷土誌の名前「どんこう」について
やお文化協会発足時、名付け親を募集。八尾市北本町在住の医師明石裸人さんが命名した。
どんこう・・・・鈍行 嫩黄(どんこう=木の芽や若葉の黄色)
一歩づつ着実に新しい芽をお互いに育てていこうという気持ちをこめて・・・・。
題字     榊 莫山さん(当時八尾市刑部に在住)
創刊号表紙絵 一柳和人さん(八尾市萱振在住)画家 二元会会員
→「河内どんこう」について 詳しくはこちらをご覧ください
● ふるさと八尾/お逮夜市・八尾天満宮参道での「植木市」 昭和51年(1976)1月
毎月11日と新鸞聖人のお逮夜にあたる27日の2回、久宝寺御坊(顕証寺)と八尾御坊(大信寺)の間の道筋に開かれたお逮夜市。戦前には沿道両側には所狭しと露店が並び、のぞきからくりなどの芸ごとまであったという。
 ○ ふるさと八尾/お逮夜市・八尾御坊大信寺境内での「大道具店」
八尾御坊境内には、多くの衣類や金物類の店がならぶ。昔から金物類の半端物でも、お逮夜市に行けば間に合う便利さ、素人だけでなく専門職の人も、ここで間に合わせるものが多かった。
● 河内飛鳥古寺霊場めぐり/はじまる 昭和51年(1976)7月
 ○ 龍泉寺(富田林市)にて
奥野俊雄大聖勝軍寺住職(やお文化協会理事)に引率され、河内飛鳥古寺霊場めぐりがはじまる。奥野住職から聞く河内古寺の縁起や伝説など、住職の含蓄ある歴史解説に魅せられ、古寺霊場めぐりの参加者は広がった。
 ○ 弘川寺(河南町)にて
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