河内どんこう掲載のグラビア写真を中心に「やお文化協会のあゆみ」を紹介します。
八尾、そしてふるさと河内を愛した、諸先輩の活躍を思い出して頂ければ幸いです。
ページ | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 |
● 「八尾はふるさと」のねがいを込めて 第一回八尾まつり盛大に開催される 昭和53年(1978)4月
 ○ 八尾市役所前のパレード
人口27万人を突破する八尾には全市民がこぞって参加する'まつり'がない。市内には五十をこえる神社はあるが、ひとつに片寄るわけにはゆかぬ。そんなわけで、全市民にアピールする'まつり'は「神戸まつり」のような「市民型まつり」とするほかない。
そんな論議をへて、昔から踊りつがれてきた河内音頭をメインとする「八尾まつり」(現八尾河内音頭まつり)がはじまった。
 ○ 茶粥を試食する山脇悦司市長
 ○ 夜、近鉄八尾駅から市役所前の通りは、露店を廻る人の波でごったがえす。  ○ 「クイーン八尾決定」司会は笑福亭仁鶴さん
 ○ クイーン八尾のパレード
● 河内どんこう編集委員会風景 昭和53年(1978)8月
第一回八尾まつりが大成功。やお文化協会関係者が総力をあげ、その成功に全力を尽くしただけに、「八尾まつりをやって本当に良かった」の感慨。八尾まつりの総合プロデュースを担当した安積由高常任理事の活躍も特筆される。
そして、河内どんこう編集委員も力が入る。八尾から柏原そして東大阪の歴史も紹介できればとの議論がすすむ。次号座談会のテーマは「河内の歴史」柏原市編。
● 第2回文化講演会「古代の河内と大和川」 昭和53年(1978)10月
 ○ 講師 直木孝次郎先生
やお文化協会主催「文化講演会」に大阪市立大学教授直木孝次郎先生をむかえる。四世紀の末頃、大規模古墳の中心が奈良盆地から河内平野に移ってくることから、古代河内政権の成り立ちを考察され、大和政権とは別の新しい政権が難波を一つの拠点として発展してきたことなどを論じられる。そして、大和川を制するものは、河内を制すると。
● 河内の今昔を語る若手僧侶の放談 於勝軍寺にて 昭和55年(1980)6月
仏教文化が河内に与えた影響、下品といわれる河内弁に仏教用語が頻繁に出てくることなどから話がはじまる。河内に戦乱が多かったのは、河内をぶん取れば天下を制することが出来るくらい、その経済力が強かったこと。葛城出身の役行者が生駒山麓の宗教的存在を形作っていることなど、縦横に若手僧侶が論じた。
● 座談会「八尾城の究明」の風景 於八尾商工会議所にて 昭和55年(1980)6月
「八尾城西郷説」批判が河内どんこう第12号で論じられた。南北朝期の軍忠状に「八尾城の処に発向し凶徒等五条河原之間に出向き合戦いたし、凶徒等城内に追い込む」との記述に注目。五条宮跡の前に河原が存在し、八尾城が大和川と楠根川のデルタ地帯にあったことなどから、「八尾城八尾座説」が論じられる。
ページ | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 |
△ TOPへ戻る