あなたは累計
 人目の訪問者です。
 平成21年5月15日開催のNPO法人やお文化協会通常総会において新理事長に就任致しました西辻でございます。やお文化協会は、平成50年(1975年)10月に設立されましたので、今年10月で満34年を迎えることとなり、河内の歴史と文化を伝承・発展させるため長年頑張ってこられた先輩諸氏のご尽力に心から敬意を表します。
 この間、郷土誌『河内どんこう』は通刊88号をかぞえ、数多くの執筆者の協力を得て河内の身近な歴史や文化を紹介、河内をはじめ多くの人々に愛読され、これほどの規模で継続して郷土誌を発行している実績は全国的にも高く評価されています。
 また、協会がその歴史の節目に建立した史跡を紹介する記念碑は、「河内県庁跡」、「河内木綿伝承の地」、「今 東光」、「お逮夜市」、「久宝寺遺跡」などそれぞれ由緒の地で、その土地の歴史を顧みるモニュメントとして市民やその地を訪れる人々に親しまれています。
 やお文化協会創立30周年を契機に、市民参加による公的文化活動の展開など、新たな発展をめざして法人格を取得、平成19年5月、NPO法人やお文化協会としてあらたな事業の一歩を歩みはじめ、平成20年4月からは八尾市指定史跡「環山楼」公開事業ならびに「環山楼」市民塾の運営に関わることとなりました。八尾市に残されためずらしい江戸時代の私塾「環山楼」を通じ、その歴史的意義を若い人々に伝え、未来の河内を担う人達の支援が出来ればと考えています。
 河内を愛する多くの方々のご参加をお願いするとともに、今後とも企業家・文化人の物心両面のご支援をお願いする次第です。
NPO法人やお文化協会 理事長 西辻  豊
 私の生まれ故郷は、八尾市から北へ20キロ、北河内郡四条畷の岡山。住まいは東高野街道沿いにあった。南北朝時代の1336年、楠木正成(まさしげ)が北朝方の足利尊氏と戦い湊川で戦死。その後、父正成の遺訓を守って足利氏に戦いを挑んだのが正行(まさつら)。最後の決戦の場がこの四條畷。わずか三千の兵を率いて吉野を出発した正行が、足利氏の武将高師直率いる六万の大軍と四條畷で遭遇した。正行はこの地で無念の涙を飲み、切腹して果てた。この大南公・小南公の話は、いつも私の心に残っていた。
 昭和34年の夏、八尾市役所に就職が決まり、私ははじめて河内のヘソと言われた八尾市に足を踏み入れた。この時期、今 東光さんが活躍されていた時代で、ガラの悪さが少々気になっていたが、楠木八臣のひとり恩智左近満一の城址恩地城や神宮寺小太郎の存在を知るようになり、自分でもその距離はグンと縮まった。
 その後、故沢井浩三先生や故武部善人先生の書物に接し、また諸先輩の指導のお陰で、40年後の今では「自分の故郷は八尾」と豪語する変身ぶりである。まさに、その土地を知ることで、新たな故郷を持つことが出来たのだと思う。
 この広場が、「わがふるさと」の自慢話などが出来る場となれば、担当者としてこの上ない喜びである。是非貴方の便りをメールで送ってください。
NPO法人やお文化協会 総務委員会 西野民夫
■2009年11月11日
 『河内どんこう』最新89号インデックスを掲載しました。
 →くわしくはこちらから
■2006年12月10日
 ホームページを公開しました。