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私の生まれ故郷は、八尾市から北へ20キロ、北河内郡四条畷の岡山。住まいは東高野街道沿いにあった。南北朝時代の1336年、楠木正成(まさしげ)が北朝方の足利尊氏と戦い湊川で戦死。その後、父正成の遺訓を守って足利氏に戦いを挑んだのが正行(まさつら)。最後の決戦の場がこの四條畷。わずか三千の兵を率いて吉野を出発した正行が、足利氏の武将高師直率いる六万の大軍と四條畷で遭遇した。正行はこの地で無念の涙を飲み、切腹して果てた。この大南公・小南公の話は、いつも私の心に残っていた。
昭和34年の夏、八尾市役所に就職が決まり、私ははじめて河内のヘソと言われた八尾市に足を踏み入れた。この時期、今 東光さんが活躍されていた時代で、ガラの悪さが少々気になっていたが、楠木八臣のひとり恩智左近満一の城址恩地城や神宮寺小太郎の存在を知るようになり、自分でもその距離はグンと縮まった。
その後、故沢井浩三先生や故武部善人先生の書物に接し、また諸先輩の指導のお陰で、40年後の今では「自分の故郷は八尾」と豪語する変身ぶりである。まさに、その土地を知ることで、新たな故郷を持つことが出来たのだと思う。 |
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| NPO法人やお文化協会 総務委員会 西野民夫 |
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■2009年11月11日
『河内どんこう』最新89号インデックスを掲載しました。
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■2006年12月10日
ホームページを公開しました。 |
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