■ 史跡など まちの風景 あれこれ その3 参考資料
 「新版八尾の史跡」 昭和62年八尾郷土文化研究会編
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15. 木村重成墓(八尾市幸町)
元和元年(1615)6月5日早暁、大坂城から若江に進んだ木村重成は、大坂夏の陣激戦の後この地で戦死し、遺骸はここに葬られて塚がつくられた。宝暦十四年(1764)重成百五十回忌にその菩提を弔うために墓碑が建立された。墓石を削って飲むと、勇気が出て勝負事に強くなるとの俗信仰があり、そのため角が丸くなっている。また墓前の松の葉を蒲団の下に敷いて寝ると、子どもの寝小便や夫の浮気に効があると伝える。
16. 山口重信碑(八尾市幸町)
元和元年(1615)の大坂夏の陣にこの場所で、木村重成の槍に突かれて戦死した徳川方武将山口重信の碑。三十三回忌にあたり、弟弘隆が建碑したもので、珍しい亀趺(きふ)の上に建てられ、碑は西面し表に林 羅山の撰文が刻まれているが、残念ながら破損が激しい。
17. 錦織廃寺址塔心礎(八尾市泉町)
西郡天神社境内の手水鉢は、錦織廃寺の塔心礎である。この地は錦織連の居住地でその寺院と伝え、八間堂の字名がある。鎌倉時代の石灯籠の台座が出土した。塔心礎は高さ60センチ、縦120センチ、横160センチの自然石の中央に、直径67センチ、深さ37センチの柱穴があり、なおその中央に直径21センチ、深さ18センチの舎利孔がある。白鳳時代に属する。
18. 御野県主(みのあがたぬし)神社(八尾市上之島南)
この地は三野郷といい、玉櫛庄に属した。古代の三野県主の住地である。県主は県の族長をいい、県は一説には皇室の直領地とし、または国造の支配する国に属する下級組織とされる。その美努連(みぬのむらじ)の本拠であった。正和三年(1314)には七条院領美濃勅旨田があり、永禄八年(1565)には美濃勅旨本役が八尾常光寺に寄進されている。
19. 天台院(八尾市西山本町)
比叡山天台宗総本山延暦寺の末寺で、開基は南朝の勤王僧として没した文観上人と伝えられるが、つまびらかではない。昭和26年、今 東光和尚が本山から特命住職として派遣された。当時の天台院はボロボロであったが、今ではコンクリート製の立派なお寺になり、その面影はない。東光和尚は、作家としてまた政治家として24年間この寺に住み、河内を舞台にした数々の名作を生み、一躍この地は世の脚光を浴びることになった。
20. 冬の玉串川(八尾市山本町)
春の玉串川は、桜の名所として近隣市民の人気スポットとなっている。昭和30年代初期、玉串川周辺に住む市民が、自治会の活動の一環で桜の苗木を数年にわたって植え続け、見事な桜並木を作り上げた。大和川の水が浄化されるに伴って、玉串川の流れも大分きれいになり、今では八尾の街の名所となり、市民の憩いの場となっている。玉串川の雪もまた風情がある。
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