■ 史跡など まちの風景 あれこれ その5 参考資料
 「新版八尾の史跡」 昭和62年八尾郷土文化研究会編
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27. 垣内「掩体壕(えんたいごう)」(八尾市垣内)
昭和18年初頭、八尾飛行場から東4キロのこの地に、プロペラ飛行機を米軍から隠すため、軍部が建設した飛行機格納庫。工事元請業者は大林組、当時朝鮮人労務者の手で鉄筋コンクリートつくりの格納庫が建設されたという。昭和50年近くに、一棟は解体撤去されたが残りの一棟は現在も残っている。
28. 黒谷高札場(八尾市黒谷)
今の黒谷の旧庄屋坂本家門前にある。江戸時代に幕府や領主などからの御達しやお触れ書などを板に写して高いところに掲げたからこれを高札と呼び、その場所を高札場といった。年貢の免定をはじめ禁止の条項、数々の法令を記したものなどが掲げられ、明治6年(1873)まで使用された。この高札場は、屋敷そのものが高くなっているため、高さ170センチの石垣の上に建てられ、下から仰ぎみるようにされた理想的なものである。八尾市内では唯一の珍しいものである。
29. 法蔵寺山門(八尾市郡川)
郡川の東方山腹にあり、大覚山法蔵寺と称する。江戸時代中頃、ここには極楽寺という寺があった。寛延一年(1748)土佐長宗我部氏の子孫好山和尚がこの地に法蔵寺を建立、二世益州和尚もよく共に寺塔を整えた。境内に八尾環山楼主石田利清をはじめ石田家一族の墓碑群があったが、今は無縁墓に積み上げられている。付近には明治時代、日本の考古学の父といわれたモースが調査し、実測図を残している開山塚などの古墳が多く残っている。
30. 立石峠の地蔵尊(八尾市服部川)
八尾・山本から来た道は八尾市立中高安小学校のところで、二本の山越え道となる。服部川の上を越えるのが立石越道、大窪の上を越えるのがおと越道である。立石越道を登った峠の地蔵尊は、私たちの先祖の歩みを知っている。
31. 心合寺山古墳(八尾市大竹)
5世紀はじめ古墳時代中期の北・中河内最大の前方後円墳。昭和41年、国の史跡に指定される。これまでの発掘調査により、古墳は三段に土が盛られ、平らなところには円筒埴輪と呼ばれるつつ型の埴輪が立てられ、盛った土の斜めの場所には葺石と呼ばれる石を置いていたことが判明した。平成13年から平成17年までの整備工事で、墳丘や埴輪列が復元され、約1600年前の歴史を体感できる場として生まれ変わった。
32. 楽音寺付近の蓮畑(八尾市楽音寺)
八尾市内では、余りこのようなハス畑は見当たらない。たまたま出会ったこの畑のオーナーに聞くと、花は八重のハスで、奈良県からこの畑に移植してもう古いという。毎年お盆の前に、すべてのハスの花が刈り取られ出荷される。
33. 十三塚(八尾市神立)
大坂玉造と大和龍田を結ぶ最も重要な街道筋にある十三峠には、明治二年の銘がある地蔵尊、また天理教の小寒(教祖の娘)の碑がある。峠の北側上には、王塚と称される大きな塚を中央にその両側には6個の小さな塚が並んでいて、十三塚といわれている。十三塚は、全国に330箇所程あったが、現存しているのは17箇所余りで、中でもこの塚はよく残っていて昭和61年2月21日、国の重要有形民俗文化財に指定された。
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